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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ザ・ゴールデン・カップス(''The Golden Cups'')は、プロレスのユニットである。UWFインターナショナルに所属したプロレスラーの安生洋二、高山善廣、山本健一(現:山本喧一)からなる。 名前の由来は、金的を防御するノーファール・カップとグループ・サウンズの「ザ・ゴールデン・カップス」をかけたものから。また安生によると「優勝カップ」の意味もあり、「本当は“ワールド・カップ”にしたかったけど、そこまで大したチームでも無いから1ランク下げて“ゴールデン・カップ”にした」とコメントしている。 メンバーがインタビューを受けた際は「ウィー・アー・ザ・ゴールデン・カップス!」で締めるのが恒例であった(このパフォーマンスは後の高山による「行くぞ、俺たちNO FEAR!!」に受け継がれている)。 == 概要 == 1994年12月にグレイシー道場へ道場破りを敢行したもののヒクソン・グレイシーに返り討ちに遭い、翌1995年10月9日に行われた新日本プロレスとの全面対抗戦では「200%勝ちます」と公言して臨んだ長州力戦にもサソリ固めであっさりと敗退した安生洋二は、ビッグマウスとは対照的な負けっぷりから「ブーイング大王」の異名を持つ程の大ヒールとなっていた。ちなみに、この時の長州の試合後のコメントが「キレてないですよ」(正確には「キレちゃいないよ」)である。 「UWFは垣原とかに任せて、プロレス界は僕が背負って立ちます」と宣言し、黒いコスチュームに変更してUWFスタイルとは程遠い「急所攻撃」や「足を踏みつける」といった姑息な技を繰り返し使うようになり、自らノーファール・カップを着用して試合に臨む様になった。 「蝶野や冬木とやっていくとなったら、俺も軍団を作らなくちゃいけなくなるから」という考えのもと、高山を軍団入りさせようと画策。UWFスタイルに固執してノーファール・カップの着用を拒否した挙句、金的蹴りで蝶野&天山組に敗れた試合後の高山に向かって、記者団を前に 安生「ちゃんと金カップ付けろって言っただろう。金玉蹴ってくるの分かってんだから。」 高山「UWFなんだから、ここは!安生さん、あんまり目茶苦茶やってるとUWFが泣きますよ。何考えてるんすか。本当に!」 安生「オレが何したってんだ。金カップ付けてるだけだろうが、お前。バカ!」 高山「そんな事させてる様だからダメなんですよ!安生さん、ちょっと変ですよ。オカシ過ぎますよ!(記者団に向かって)エェ?金玉蹴った?勝てる奴が何だってんだ。次はオレがぶっ殺してやるよ!天山をよ!蝶野!」(と言い放ち立ち去る) 安生「ザ・ゴールデン・カップスって名前で行こうと思ってたんだけどな…。一から考え直さないと若い者は付いて来んな…。」 という珍問答を経て、徐々に安生ワールドを浸透させると、UWFスタイルの急先鋒とみられていた高山の懐柔に成功。続いて若手の山本も軍団入りさせ、1996年1月4日に「ザ・ゴールデン・カップス」の結成を宣言した。 この頃から安生は「Uの砦を守るとか、これっぽっちも考えていない。」「Uというものに縛られたくない。チームスポーツじゃないんだから。闘いをエンジョイしたいだけ。ファンもそういうものをプロレス界に期待しちゃいかん。」等と発言し、高山も同調するようになった。 以降Uインターの異色な存在として活躍し、試合中凶器としてタコをリングに持ちこんだり、ストロングマシンのコンセプトを踏襲した『100%マシン』『150%マシン』などのマスクマンを登場させたり、『OH TACO 』というCDアルバムもリリースするなど多方面で活動するようになったが、Uインターの崩壊と三者の方向性の違いから自然消滅した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザ・ゴールデン・カップス (プロレス)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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